「時代」のリアリティ

本

村田沙耶香の『コンビニ人間』が芥川賞を受賞した。好きな作家なので、純粋にうれしい。でも、「今の時代の現実を描き出した傑作」という向きの評価がなされていることに、わたしは心底驚いた。この作品には、自分が生きている「時代」のリアリティを感じなかったからだ。共感できるとかできないとか、たぶんそういう話ではない。コンビニでのバイトに生きる意味を見い出す「おかしな」主人公にも、周囲の「ふつう」の人物にも、感情移入できる部分は随所にある。けれどもわたしは彼らを「時代」として括るための言葉を知らないし、作品全体があまりにきれいに整えられているためか、むしろレトロな印象を受けたくらいだ。自分が生きている今を「時代」としてとらえること、そしてそれを他者と共有することは、結構難しいのだと思った。

なんだかネガティブな語り方になってしまったが、『コンビニ人間』が優れた作品であることはわたしにもわかる。読んでいて一番きゅんとしたのは、コンビニを「透き通ったガラスの箱」「清潔な水槽」と表現していたところ。村田沙耶香の無生物の比喩は、いつもとてもステキだ。他作品のようにフィクショナルな「現代」に振り切った方がわたしの好みだけれど、その作風では芥川賞は獲れなかったということだろうか。

現代文の教員をしていたころに、安部公房の作品を何度か授業で扱ったことを思い出した。発表当時の社会状況をふまえて読解する、というのが指導書のお決まりパターンだったが、果たして1950~60年当時の読者のどれほどが、安部公房作品に描かれた「時代」に着眼していたのだろう。しかし、数十年後に『コンビニ人間』が教室で読まれる時、教師が「2010年代は…」なんて解説するのを想像すると、それはそれでちょっとおもしろい。ネットショッピングが「ふつう」になって街角からお店が消えていたりしたら、生徒たちにはまず「コンビニエンスストア」の説明から。なかなか骨が折れそうだ。〔K〕

村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋 /2016.7)

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今日のすべてが明日をつくる。

本

許す/許さない。信じる/信じない。生活の中で繰り返されるジャッジの集積で、今のわたしができている。そして、そのみんなの集積が、明日の世界をつくっている。吉田修一『橋を渡る』は、そんなことを改めて考えさせてくれる小説だった。

作品をざっくりと表現すれば、3人の主人公たちとその周辺を描く群像劇。2014年の世界で、それぞれが自分の「正義」を譲れずにもがいている。時事ネタも刺激的だし、繊細な心理描写も興味深いなぁ…と読み進めていたら、いきなり70年後の未来にワープしてびっくり!ちょっとSFチックな展開だけれど、政治も科学技術もビジネスも血縁関係も、未来はすべて現在の延長線上にある。しかし、未来は未来でまた進行していくわけで、現在の単純な「結果」としてポツンと置かれているわけではない。未来の物語が、現在を戒めるための因果律的な説教になっていないところがおもしろかった。

自分のジャッジが正しかったかどうかは別として、自分が何かを信じて何かを許したという事実自体が、世界のどこかになんらかの痕跡を残すらしい。我が身に置き換えてみると、愉快でもあり、怖くもある。〔K〕

吉田修一『橋を渡る』(文藝春秋 /2016.3)

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フェスといえばポカリスエット

広

今年も熱かった夏フェス!

「フェスといえばポカリスエット」のキャンペーンロゴ、プロモーショングッズをデザインさせていただきました。

 

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切り込み方、いろいろ。

映舞

『シン・ゴジラ』は、評判どおりすごい映画だった。ほーっとひと息つきながらエンドロールを見ていると、五十音順に並ぶ役者のクレジットの末尾に別格扱いで野村萬斎が。実はゴジラ役(というか、モーションキャプチャーのアクター)だったという。全然知らずに観ていたけれど、言われてみれば確かに、妙に上品な立ち居振る舞いだった気も。ゴジラが狂言だなんて、言葉としてもなんだかおもしろい。

その前日に観たのは、ケラリーノ・サンドロヴィッチの舞台『ヒトラー、最後の20000年~ほとんど、何もない~』。この題材でナンセンスコメディとは、ある意味、核や日米関係の問題に正面から切り込む『シン・ゴジラ』以上の挑戦である。ともすると「不謹慎」なのだろうが、対象物や演者自身を犠牲にして笑いをとる種類のコメディではない。決して物語らずに、物語を演じること。そこに生じる意味とのズレみたいなものが、このお芝居における笑いの源泉だったように思う。〔K〕

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体育会系舞台鑑賞

舞

映画館で映画を観ること、劇場で芝居を観ることの魅力は、目の前で、半ば強制的に物語が進んでいくところにあると思う。部屋での読書みたいに自分でコントロールできず、ガッチリ固定されて手も足も出ないジェットコースター状態で、席についたらもう、目の前の世界に巻き込まれるしかない。そこがいい。とりわけ、生身の人間が作り出す舞台に巻き込まれていく時の高揚感は格別だ。そのドキドキやワクワクは、スポーツ観戦にも近いような気がする。そもそも、「舞台鑑賞」というと文化系の匂いが漂うが、演じている方の運動量はバスケの試合並だろう。

先日、体育会系ダンスカンパニー・ビルヂングの舞台、『時には茶の間でケンカして2016』を観た。「「圧倒的な勢いで全力!」がモットー」というだけあって、本当に勢いがすごい。「ケンカ」で括られた人間関係のドラマがオムニバス形式で展開されてはいたのだが、正直なところストーリーはそっちのけで、ユニフォームのニッカポッカをまとった演者たちの「全力!」ぶりに目も心も頭も奪われてしまった。小さなスタジオで汗を浴びながら堪能する、むせかえるように熱い舞台。そこには、小劇場にありがちな理屈っぽさとは一線の画す清々しさがあった。〔K〕

体育会系ダンスカンパニー ビルヂング

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